上総ノリ誕生の物語──不屈の挑戦と地域の変遷
Contents
1. 君津の海──変わりゆく風景
千葉県君津市の海岸沿いには、新日鐵住金・君津製鉄所がそびえ立ち、工業地帯として発展しました。しかし、1960年代に埋め立てが行われる以前、この地には遠浅の海が広がり、「上総(かずさ)ノリ」の一大産地として栄えていました。
その歴史を今に伝えるのが、「君津市漁業資料館」です。館内では、ノリ養殖の道具や歴史資料が紹介され、埋め立て前の君津の海と、そこで暮らした漁民たちの営みが克明に描かれています。
2. 近江屋甚兵衛──未知の挑戦へ
「上総ノリ」の誕生には、一人の男の情熱がありました。近江屋甚兵衛(おうみや じんべえ)──江戸四谷に生まれ、浅草でノリ商人を営みながら、養殖技術の研究に励んでいた人物です。
彼は、「河川が流れ込む遠浅の海にヒビ(木の枝)を立てれば、ノリの養殖は必ず成功する」と確信していました。しかし、当時の常識では、ノリの養殖は品川や大森といった特定の地域でしか成功しないと考えられており、彼の理論は受け入れられませんでした。
それでも、甚兵衛は挑戦を決意します。55歳で江戸を発ち、新たなノリ養殖地を求め、各地の漁村を訪ね歩きました。
3. 幾度もの挫折、そして成功
しかし、その道のりは険しいものでした。浦安、市原、木更津と、訪れる先々で「漁業の妨げになる」として断られ続けます。漁民たちにとって、未知の養殖技術はむしろ脅威だったのです。
それでも甚兵衛は歩みを止めませんでした。商人として培った人脈を頼り、江戸の俳句教室の縁をたどり、君津の名主に話を持ちかけます。そしてついに、小糸川河口の人見で、ヒビを立てる許可を得ることができました。
試行錯誤を重ね、1822年(文政5年)、ついにノリ養殖に成功しました。「上総ノリ」は江戸で評判となり、君津をはじめ沿岸各地へと広がっていきました。
4. 発展と変遷──時代を超えて受け継がれるもの
ノリ養殖の発展に伴い、新たな問題も生じました。1894年(明治27年)、名主たちによるノリ生産の独占に対する反発から、「ノリ解放運動」と呼ばれる争議が勃発しました。暴力事件にまで発展したこの騒動は、最終的に法廷闘争を経て、平等な取り決めがなされることで決着しました。
しかし、時代の流れは止まりません。昭和の高度経済成長期、君津の海は埋め立てられ、「上総ノリ」の産地としての姿は消えました。それでも、甚兵衛が築いたノリ養殖の技術と精神は、日本各地に受け継がれています。
5. 甚兵衛の遺したもの
君津市人見の青蓮寺境内には、甚兵衛の墓が静かに佇んでいます。彼の業績を伝える「君津市漁業資料館」もまた、地域の歴史を後世に語り継ぐ場となっています。
かつてノリ養殖のヒビが立ち並んでいた海は、今や製鉄所の煙突が林立する風景へと変わりました。しかし、挑戦し続けた男の熱意は、今もこの地に息づいています。
参考情報
🪦 近江屋甚兵衛の墓
📍 所在地:青蓮寺(君津市人見1-11-7)
🏛 君津市漁業資料館
📍 所在地:〒299-1147 千葉県君津市人見1294-14
🕘 開館時間:午前9時00分〜午後4時30分
📅 休館日:月曜日(祝・休日と重なる場合は翌火曜日も休館)、国民の祝日、年末年始
🎟 入館料:無料
📌 施設情報
- 🏢 会議室:定員40名(事前申し込み制)
- 🍙 ノリつけ体験:原則10名以上の団体から体験可能(事前申し込み制)
⚠️ 注意事項
- 館内での 写真撮影は禁止(調査・研究目的の場合は事前相談が必要)
🚌 交通アクセス
- 木更津駅西口より 日東バス 富津公園行「神門(ごうど)」下車 徒歩1分