感謝の心を育む活動の方向性
自分自身を「ありがたい存在」として見つめ直す
「ありがとう倶楽部」という名前の通り、私たちの活動は「ありがとう」を深く感じ、共有する人々が集う場所を目指しています。現代では、身の回りに存在する多くの「ありがとう」を当たり前と捉え、感謝の気持ちが薄れていることがあるのではないでしょうか。その最たる例が、自分自身への感謝です。
皆さんは、自分自身が「ありがたい存在」だと感じたことがありますか?私自身もかつてはそのような考えを持っていませんでした。健康で体が動くことは当然のことだと思っていたのです。しかし、喘息やアトピー、潰瘍性大腸炎、さらにはうつ病を経験することで、私の考え方は大きく変わりました。病気を通じて、身体が正常に動き命が維持されていることが、いかに素晴らしいことかを知ったのです。多くの方も、似たような経験を通して自分の存在の価値を実感したことがあるのではないでしょうか。
先人たちの経験から感じる「命のありがたさ」
さらに、私は自身の命がいかに貴重であるかを、家族の経験からも強く感じました。私の祖父はシベリア抑留を生き抜き、祖母は戦時中の中国大陸で過酷な状況を耐え抜きました。祖母は侵攻を避けるため頭を丸め、貿易会社の倉庫に隠れながら1年を過ごした後、広島へ帰還しました。しかし、帰郷した広島は原爆の爪痕で焼け野原となり、家族を失った状態だったといいます。それでも祖父は無事に戻り、そこから母が生まれ、私へと命が繋がったのです。
このように、私たちの命は戦争や災害、疫病といった数多の困難を乗り越えてくれた先人たちのおかげで存在します。この事実を知ったとき、命そのものがどれだけ「ありがたい」ものかを実感しました。皆さんの家族にも、似たような体験や歴史があるかもしれません。
「ありがたい」という言葉は「有るのが難しい」と書きます。それは決して当たり前のことではありません。ありがとう倶楽部に集う人々には、この事実を心に刻み、日々を感謝とともに生きる人であってほしいと願っています。
今日もまた、皆さんが多くの「ありがとう」を感じられる1日となりますように。
— ありがとう倶楽部 秋山